ホスピス日記


『自分で変えられた』

更新日時
2009年03月30日(Mon)

肺がんで既に半年の命と告げられたOさん。入院して、しばらくする内に体力を失ってきたOさんを訪問した際、語ってくれたのが以下である。
O)「前のように、力がみられないでしょ?ラジオも何処に行ったのかしら?・・・ラジオも全然、あわせられない・・・。」
私)「ラジオがあわせられなくなってきているのも、力がなくなってきていると感じること?」
O)「そう・・・。」
私)「弱くなって来ている?」
O)「そうかもね。眩暈も、ひどくて。薬のせいじゃないかって、言ってくれているけど・・・。でも、本当は、そうじゃないのかもしれない。」
私)「そうじゃないとは、薬のせいじゃなくて、別の理由があると?」
O)「そう。・・・こんな事言ったら怒られるかもしれないけど、一番、いいのは、私が楽になることだと思う・・・」
私)「それは、命が終わったらいいという意味で話しています?」
O)「そう。・・・もう楽になりたい。こんなに苦しくて、辛い事はない。」
私)「死にたいくらい、辛くて、苦しい?」
O)「そう。・・・人間、思うようには行かないのね。」
私)「思うようには行かないとは、自分の命を自分で終わらせられないということ?」
O)「そう。自分で終わらせられたら・・・。それが、出来たらこんなに苦しい思いはしない。それが、出来たらどんなに良いか・・・。思うようにはいかない・・・。それも、出来ないので、愚痴もこぼしたくなる・・・。」
私)「そうですね。・・・思うようにはいかないね」
O)「そう・・・」
Oさんは、次第に瘠せほそり車椅子にも独りで乗る事も出来なくなってきていました。めまいが酷く頭が震えるだけでなく、手も固定しておくことが出来ないほどの震えでした。食事も独りで食べていたのが、介助で手伝ってもらわないといけないほどになっていました。
なんでも自分で生活をしてきたOさん。身の周りの事が次第に出来なくなる、手や頭も震えだしてしまう、そんな自分に苦しみ辛くなり「自分で終わらせたい」と願う叫びを発していました。「自分で終わりにしたい」と叫ぶほどの痛みに向き合った私。私には、叫びの中にいるOさんが、その現実を生きていく力を探して実感していけると信じて向き合うだけでした。
その数日後に、病棟内でたこ焼きパーティーが開かれた後に、Oさんが語ったのが以下です。
O)「この間の、たこ焼みたいな催し物が、今日も無いかしら?あんなものがあると、とてもいいと思うね・・・」
私)「残念ながら、今日はないんですけど・・・」
O)「そう、残念。・・・でも、ちょっと外に出てみたい。」
私)(車椅子にて、病棟内を回る。回りながら)
O)「・・・・2F、3Fは賑やかでいいでしょうね・・・。」
私)「行ってみたいですか?」
O)「そうね、行って見たいね。お友達が居たらいいなって思って・・・」
私)「平日に行って見ましょうか?」
O)「そうしてみようか。・・・この間の、たこ焼の時に来ていた○○さんと、友達になってみたいなぁー・・・。あの人目がみえないでしょ。だから、その人の力に、なれないかな?
私)「力になってあげたいの?」
O)「そう、・・・わたし、この間のたこ焼の時から、変わったの。」
私)「変わったとは?」
O)「わたしね、これまで、卑屈になっていたの。でも、それじゃいけないと思ってね。この間の、たこ焼の時に、わたしだけが“変”じゃないってわかったの。ここに居る人達は、みんな大変だと分かってね・・・。みんなが、それぞれ大変で、いろいろなんだって分かって、仲間が居るような気がして。・・・それで、何時までも卑屈になっていてもアカンと思ってね。」
私)「卑屈になっていたのは、振るえが止まらなかったことが原因でしたか?」
O)「そう。身体が震えて、“変”だったの。でも、そればかり言っていてもね・・・」
私)「身体の震えは変わらないけど、・・心を変えれた?」
O)「そう、心を変えた・・・」
私)「自分で変えられたんですね」
O)「そうね。変えられたね。」
 自分でできる事が少なくなってきた事に、「もう終わりにしたい」と苦しんでいたOさんが、「卑屈になっていてはいけない」と感じたと教えていただいた時には驚きました。同時に、素直に卑屈な自分を認め、その事を他者(私)に伝え、自分自身で変わろうとされる、こんな力はOさんのどこから来るんだろうと関心せざるをえませんでした。現実が変わらなくても、その現実の中でも生きていける覚悟を、Oさんの中に作らせる尊い力があることを教えていただいたようでした。
人は、自分の事を自分でする事に大きな力を得られ、更には誰かの役に立つ事があってそれによっても生きる力に繋がるのでしょう。旅立ちが近いにも関わらず、Oさんは「生きている」実感をつかんだのではないでしょうか。

2009年03月