ボランティア


草野郁子(くさのいくこ)さん

更新日時
2009年06月23日(Tue)

1940年10月30日(辰年)生まれです
今までのボランティア活動の経験を教えてください   
・1982年・83年にかけて1年間、カナダ・ウィニペグでの総合病院の老人病棟でボランティア体験を初めてしました。車椅子での移動の介助、散歩、お茶のサービス、作業やイベントの準備などです。
・2004年8月、明石市内にがん患者グループ「ゆずりは明石」を立ち上げて、以来事務局を担当しています。例会、講演会、勉強会の準備、講師との連絡、会報の発行、他の患者会や市民活動に参加して、多くの時間をこの患者会に費やしています。
・2007年5月から、月1回デイサービス(伊川谷工房)でのボランティア。日本語の音読、初歩的な英会話をしています。
・2007年1月から、月1・2回ホスピス「希望の家」でのボランティア。 お茶会(茶道)のお手伝い、患者様との散歩、お話し相手、生け花の水やりなど
           
ボランティアをするようになったきっかけを教えてください
・カナダではただ単に病院で働いてみたくて、それにはボランティアとして働くのが手っ取り早いという不純な動機からでした。
(当時250床の総合病院の中にボランティアは150人。数年後再訪した折には250人になっていました。ボランティアサービス部門は病院の機能として非常に重要な位置を占めています。ギフトショップの運営、図書の貸し出し、新聞販売、病院案内、園芸、年一回のバザーや他のイベントの準備など。土日曜日は中学生のボランティアが大勢来て、コーラスやゲームなどしていました。病院側は、定期的なボランティア向け研修会と大がかりなボランティア向け感謝会のような催しを開いていました。
カナダではどの病院でもボランティア部門は活発でしたが、地域の中でも学校、教会などで、小学生からお年寄りまで、時間と能力に合わせて何かのボランティアをすることがごく自然に行われていたのが印象的でした。
 帰国後、明石市内の病院にボランティアの受け入れについて問合せをしましたが、何しに来るといった感じで外部からの出入りを好まない風潮があって、カナダとのギャップを強く意識したことです。‘80年代前半当時は病院に限らず、地域でもボランティアという言葉はほとんど浸透していなかったように思われます。)

・1980年代後半に千葉敦子さんの『よく死ぬことは、よく生きることだ』(文芸春秋)の本に出会って、がん治療とかホスピスケアに関心を持つようになりました。千葉さんの著書は確か全巻読んでいると思います。その後1992年神戸に日本ホスピス・在宅ケア研究会が発足したのは、私にとって時宜を得たといった感じで、以来会員になっております。当時から、退職後はホスピスボランティアで働きたいとの夢を持っていました。
・2002年3月、保健師として長年勤めていた産婦人科医院の保健相談室を退職しましたが、
4月から外国語大学に4年間在籍していましたので、ホスピスボランティアとしての出足は2007年からとなりました。希望の家にご縁があったのは、2006年9月にスピリチュアルケア研修旅行でドイツのホスピスを訪れた折、ディレクターの松本京子さんやスピリチュアルケアワーカーの宇根敬さんと同行したことと、前述の日ホス研究会の理事で、はやしやまクリニックの理事長梁勝則ドクターを以前から存じあげていましたのが幸いでした。

ボランティア活動の感想はいかがですか
・患者様、ご家族など多くの方々との出会いで、教えていただくことのほうが多いものです。日頃何かと大変忙しい生活をしているので、ホスピスでのゆっくりした時間の流れの中で、ゆったり自分を見つめなおすことが出来て幸せに感じます。前日寝不足のような時少し今日はしんどいなと感じても、ボランティア活動から帰路につくときは充実感を味わっているから不思議です。
・積極的に仕事や家事・育児で働いている時期が過ぎたら、何らかのボランティア活動に従事することを同年代の方々に薦めたいと常々考えています。社会と接点を持つことができて、人に喜んでもらえることは、ひいては自分の喜びであることを多くの人に味わっていただきたいと感じております。

信条やモットーがあれば教えてください
・お話をよく聴いてあげたいということです。一緒に笑って、泣いて、共感できる相手になれるように努力していますが、まだまだ自信を失くしてしまうことがたまにあります。

お茶の配膳をする草野さん

お茶サービスボランティアの方々と一緒に

2009年06月