グループホームでの看取りを通して - 介護の専門性を考える -|スタッフブログ|林山朝日診療所グループ|神戸市須磨区・長田区・西区

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2009年02月27日

グループホームでの看取りを通して – 介護の専門性を考える –

はじめに

グループホーム希望の家は、平成16年6月、神戸市須磨区にオープンし、2ユニット18名の入居者が生活している。 GHの職員は介護職で構成され、ナースは常駐しておらず、医療法人の施設ではあるが医療面においては、在宅と殆ど変わらない環境である。GHでの看取りはまだ日常的な出来事ではなく、当GHでも試行錯誤の中で、3名の方の看取りを経験した。3例の経過の中で、看取りに必要な知識、技術を学び、改めて介護の役割について考える機会となり、その専門性とは何か一考察を得られたので報告する。

事例紹介

事例1

A様は、呼吸苦の訴えが頻繁にあり、ケアワーカーはA様の病状に一喜一憂して、すぐに医療職に指示を求めていた。日に何度となく、居室からケアワーカーを呼ばれ、「苦しい」、「もうあかんのかな?」と死に対する恐怖を訴えられた。苦痛の除去としての薬の投与が増え、それに伴い、せん妄の表出も増加した。ケアワーカーはA様の思いを傾聴するが、せん妄は激しくなっていった。また韓国語による思いの表出が顕著になり、言語的コミュニケーションが困難になってきた。服薬コントロールが終盤においては主体になり、体内変化の急変により、早朝夜勤スタッフと、一人の入居者に看取られて亡くなられた。

事例2

B様は、妻と82歳の時に結婚され、二人で寄り添いながら生活をされてきたが、認知症発症を機にご夫婦でGHに入居されていた。看取りの時期は1ヶ月で、本人からの倦怠感や体調不良の訴えが多くなり、食欲減退、倦怠感の増大、排泄の失敗が目立ってきた。ケアワーカーは、B様に対し何度か入院を勧めたが、「ここでええ」「どこも行きたくない」と最後までご自分の意思を貫き通された。 妻は変わりゆくご主人の姿をみて、異変を感じ不安が強まっていった。看病したいという気持ちは強かったが、上手くできない自分に焦りや不安を感じた妻は、その不安が被害妄想や嫉妬妄想として発展し、ご主人を責める場面が多くなり、口論の場面も度々見られた。亡くなる前日に本人よりケアワーカーに「もうあかんわぁ」と自らの死期を感じての発言がみられた。異変に気づいた妻が見守る中、早朝亡くなられた。

事例3

C様の場合は、GHで看取るという合意形成の下、チームケアを行った。 本人からの身体面の苦痛の訴えは殆どなかった。 本人の体調、意思を尊重しながら、リクライニングベッドをリビングに持ち込み、リビングで過ごし、他の入居者との交流を図った。また、居室で休まれている時には、『お見舞い』という形で、他の入居者に短時間、訪室していただいた。他の入居者からの優しい声かけに本人の表情が緩むことが多かった。 人の気配が常にあり、生活感のある環境づくりをしていくことで、他の入居者とのなじみの関係を維持していった。 最期はその日の勤務者全員に看取られ、亡くなられた。

考察

第1に、A様においては、私自身が死に逝く過程を受け止められず、苦しんでいる姿を「可哀相。見ているのが辛い」と個人的感情が表立ち、そのため安易に医療職に決定を求め、責任転嫁をしていたと思う。ケアワーカーがその方をよく観察していくこと、病や薬の知識を深めることで客観性が生じ、専門職として看取っていくことができると思う。大谷が、「死に直面すること、自分のときに何かあったら...というケアワーカーの不安や、心理的ストレスの軽減には、日常的な意思疎通、情報の共有、スーパーバイズの重要性」をあげているように、ターミナルケアを実践する上で、チーム間の連携、医療職との連携は不可欠である。ケアリングシートとターミナルケアプランを活用し、その方の1日1日の体内変化を客観的な情報として捉え、情報の積み重ねを行い、また、ケアワーカーの不安の表出をチーム間で共有していくことが重要であると私は考える。

第2にA様への援助展開の中でコミュニケーションの方法に問題があったと思う。佐藤が「コミュニケーションを介して相手との心理的な結びつきを得ることができるのである。相手がいて成り立つもので、かつ相手との共同作業である。」と述べているが、次第にA様が韓国語での発言が増える中、ケアワーカーは言語的コミュニケーションに固執しすぎていた。A様の死に対する恐怖心や、もっと生きたいという強い意思に対して私たちは、目を合わせ、体をさする、手を握る、沈黙を守るなどの非言語的コミュニケーションをもっと増やしていくべきだったと思う。

第3に「生死学のすすめ」より山本は死生観について「自分の生命に対する自己評価であり、意識してもしなくても死生観はその人の行動を決定する規範として働く」と述べている。 B様においては、残された時間をどのように生きるかを考え、認知症の妻に看病されながらも、夫妻が暮らす場所を住み慣れたGHに求めていた。 その方の死生観を尊重することはできたが、心理面のアプローチが弱く、妻を残して逝く不安や日々弱っていく自分に対する不安に私たちが、しっかりと向き合えていなかったと思う。それは妻に対するケアにも同じことが言える。ご夫婦それぞれが自己決定していく中で表出した様々な不安や葛藤、特にネガティブな発言に対して、励まし以上に共感する声かけが必要だったと思う。 「不安ですよね」 「辛いですよね」と共感ができていれば、夫婦共に自身の様々な感情の表出がもっとできたように思われ、これがターミナルケアにおける心理面へのアプローチとして、とても重要だと私は考える。

第4に、C様における生活支援重視の実践により、C様の不安の受容や、生活の質の改善はされたと思う。具体的には、生活を整えていくことを主眼におき、ベランダに出ていただくことで、陽光、木々の匂い、新鮮な空気を感じていただいた。また居室に好きな写真を貼り、花を飾り、音楽を流した。五感を刺激していった。金井が言うKOMI 理論のケアの定義「ケアとは、生活にかかわるあらゆることを創造的に健康的に整えるという援助行為を通して、小さくなった、あるいは小さくなりつつある生命力の幅を広げ、または今以上の健康の増進と助長を目指して、時には、死に行く過程を限りなく自然死に近づけるようにすることも含まれる、その人のもてる力が最大に発揮できるようにしながら、生活の自立とその質の向上を図ることである」といっているように、私は、看取りを通した介護の専門性とは、その方をよく観察することであり、死に逝く過程であってもその方の持っている力にはたらきかけていくことだと考える。そして認知症という病を抱えながら、死に至る過程を進んでいる方に対して、病気や症状だけを追いかけるのではなく、体内変化を冷静に受け止めながら、適切な生活支援を行っていくことが、最も重要であると考える。また、C様の場合、看取りを体験した他の入居者に対する配慮不足が考えられる。隣人の死から自分の死が近づいていると感じられたり、愛する家族の死と重ねたりと様々な感情が表出した。他の入居者自身の不安の増大から、他者に対するパッシングにつながる場面も表出した。認知症の方が、記憶の部分で隣人の死を忘れたとしても感情の部分では大きな衝撃を受けていることをケアワーカーは受け止めて、残される入居者に対するケアも必要であった。

おわりに

今回の3例を通して、看取りの場面だけではなく、わたしたち介護の専門性とは、病気を見るのではなく、その人の生活を見ていき、援助していくことであると分かった。具体的には、今生きているその方をどうその人らしく支援していくかを考えて実践していく全人的ケアを行うこと。第2に死に逝く過程であっても残存能力に働きかけていくこと。第3に体内変化を冷静に受け止めながら適切な生活支援を行っていくこと。第4にケアワーカーの心理的ストレスや不安を精神面で支えてもらい、その方の苦痛除去の為に適切な医療処置を行っていただく必要に応じた医療職との連携を図ることが大切であると学んだ。

・引用文献・

  1. 大谷るみ子:認知症ケアの延長上での死 総合ケアVOL.15 NO.10 2005 (株)医歯薬出版
  2. 佐藤弘美:認知症ケア・ターミナルケア 第3章 2005 (株)中央法規出版
  3. 金井一薫:KOMI理論 看護とは何か -介護とは何か- 2004 現代社
  4. 山本:認知症ケア専門士テキスト ターミナルケア

医療法人社団 林山朝日診療所 グループホーム希望の家
関山真由美

2007.6.4・6.5 全国認知症グループホーム大会にて

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